よっさんの日記

よっさんのメキシコ移住計画旅絶賛進行中!

ロスカボ上陸!!〈ロスカボス編②〉

 毎度ご無沙汰しております。

以前の更新からだいぶ経っての更新だけどこれまででメキシコでいろんなことがあって
ブログにするネタが溢れかえってどれから書いていくか悩んでるうちに再度

自分のブログ記事をふとみかえしてやはり続きを書いていこうと決めた。

 

ということで引き続きロスカボス編をつらつら書いていく!

過去記事はここから!↓↓

 

yossanito5.hatenablog.com

 

経路を簡単に解説、メキシコシティベニート・フアレス国際空港からはロスカボス空港まで直行で片道2時間程度。
時間差が同じ国内にいながらシティと1時間の差もあって、憧れの、しかもあわよくば海に囲まれたロスカボスで長居できればという期待を抱きつつの流れでとりあえずLet's go!

空から見た景色はほぼ荒野

ロスカボ空港に到着!入口には 定番の"Bien venido"「ようこそ」の文字が

ちなみにVlogの方もYouTube には上げてるものの
今のところそこまで喋ってる動画が少ないのもあって(後から気づいた)概要はここのblog、中身の雰囲気は動画で、という感じで、これからもメキシコ関連の動画上げていくんで興味あればぜひ下リンクからのチャンネル登録もヨロシクな!!
Youtube Vlogチャンネル↓↓


www.youtube.com


ロスカボスの観光シーズンは10月~4月辺り。なんと年間の300日が快晴と言われるほどの超乾燥地帯!

なるほど、たしかに以前いたカンクンのジメったサウナ気候と比べれば空気、風当たりがさっぱりー!気持ちEー!と感じたほど。動画でもその辺の雰囲気伝わるかと、(適当)
ここで長居するための基本条件としては、気候、物価、飯、人、治安移住第5原則が住みやすさに繋がっていると僕は信じている。 
これまでの経験上、気候が良い→人も温かい→飯がうまい÷治安×物価=住みやすさ。

という至極個人的な解釈。

まあ人それぞれということで。

ロスカボスは個人的にはかなり好印象な気候、、

ところがどっこい!
ロスカボ上陸が4月、ちょうどここから7、8月にかけて9月頃まで40°を超える猛暑が続いてから追い打ちをかけるが如くハリケーンの季節に入るという現地人からの情報が入った。

ただ現地の人は比較的慣れてる感じ。

ロスカボス、まだ油断はできん。。 とは言え楽しみにしてたのでとりあえずネガティブな面は置いといて観光がてらテイクイットイージー、気楽にいこう。

 

空港からアルドに一報連絡入れてSan Lucas市街地までの行き方を聞きいてそこで待ち合わせることに。

前のブログでも触れたけど "Los Cabos(岬)"ロスカボスはサンホセとサンルカスの二つの街で構成された島先端にある街の総称。
ちなみに州はバハ・カリフォルニア・スル(南)、で州都がラ・パス La paz。

 

ラパスが州都なんやったらまずはラパスがメインとちゃうの?と
思われた方、同じく僕もそうでしたがその辺は追々。

市街まではバスで行くことに運賃は一人80ペソで約500円程度。
ちなみにタクシーやウーバーを頼むと80ドル、約1万円弱(2022年)と爆上がり。
何でここまで違いがでるのかはさておき、ロスカボではタクシー、ウーバーはとりあえあず高い。

"ハロー"と陽気な乗車券売りのおっちゃん

 

バスに乗り込み市街へ。

サンルカスまでの道のりの途中にあるサンホセ(San Jose) を通過した辺りで

まさかのアルドとここで再会!

向こうは僕がこのバスに乗っていたことを知っていたかのような顔で僕の名前を呼ぶ。

これが偶然だったのか、それとも計算して乗ってきたのかは謎のままである。

以前に一度会っただけ言えど久しぶりの再会。

そこからやっと日本人と日本語が話せる!といわんばかりにアルドが日本語で話してくる。 
ちなみに彼はかなりの日本好き。



現地でメキシコ人相手に日本語で話する違和感と、簡単な単語を選んで話しようとするほど日本語少しできる外国人のような訛りのある喋りになってしまうのは僕だけではないはず!

 

 

僕 「アー、アルド ハ バイオリン ワ イツカラ デスカ?」

 

アルド 「ハイ、ぼくは 10ねんまえの16さいのころから バイオリンをならった」

僕 「ソウカー ソレハスゴイナー ムツカシデショ?」  ←誰?

 

 

もはやどっちが日本語母国者なのかわからない。

 

ていうか外国人相手に選ぶ日本語疲れる! 日本語ムズすぎーイ!

 

となって基本のメキシコ人相手に使うスペイン語に戻した。

 

約1年ぶりの二度目の再会

 

サンルカス市街地から別の地元のミニバス(現地では"Pecera"ペセラ)でとりあえず家に向かいつつ、僕はスペイン語、彼が日本語で会話という周りの現地人から見れば何が起こってるのかよくわからない完全に異様な二人という空気の中、やっと目的地に着いた。

 

 

大きくて端正な白い家がたたずむ住宅街にある真っ白な大きい家だ。

僕 「家賃はおいくら?」

 

アルド 「12000ペソやったけど、コロナでみんな収入落ちたから今は10000ペソやで。」

※10000ペソ=約60000万円

 

場所はダウンタウンから車で25分と近くはないがメキシコ人の平均収入からすれば高いな。

 

 

 

とにかく荷物を置いてこれからアルドがバイオリンを弾きに街へ降りるからついてきてとアルドがバイオリンをもって僕が補助役としてスピーカーをかついで街を案内してくれることになった。

いざダウンタウンへ!!

 

続編へと続く。。

 

 



 

もう一つの楽園~南バハカリフォルニア~

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最近気づけば日本を出てメキシコに来てから2年とちょっと経つ。

初めて来た時と合わせて3年以上になる。

ということでここでメキシコのスラムに住んでいた時期も

ある自分が軽くメキシコシティについて話す!

おそらくメキシコに来たこともない人からすれば「荒野にサボテン」、「アステカ、マヤ文明」、「インディジョーンズ」、「危険、治安悪い」、「麻薬マフィアの巣窟」、実際に大阪の友達から「メキシコてその辺の道にボクサーマフィアで溢れてるんちゃうの?」

と言われるほど、大半は悪い噂とイメージしかない。(地域によっては否めない部分もある)

まぁ極端な悪いイメージが多いのもメディアがほぼ悪いニュースしか取り上げないのは強い、、

 

実際、初めてメキシコシコシティを見た時の印象は、行く前の荒野のど真ん中にサボテンの隣ででっかい帽子被ったマラカス持って踊るヒゲの男がいると想像していたそれとは遠くかけ離れていた。

メキシコシティは800万強の人口を持つ中南米屈指の大都市で、大阪とほぼ同じ人口。

高層ビルが立ち並びスモッグで空気は濁っていて平日の街はほぼ常に渋滞。

 

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レフォルマ通りのアンヘル独立記念像

 

自分にとってメキシコは一言で言い表すと「遠い国のようで近い国」

いやちょっと待て、地理的に日本から1万4000㎞も離れていて成田から直行便でも14時間かかって間違いなく遠い。

それでも何故かこの国にいると親近感が沸いてきて居心地が良い。

なので正確には「遠いけど親近感の沸く国」か。

 

人は基本的にオープンで温かく情があってやさしい上に

外からきた馬の骨とも知らない自分にも大手を振って迎えてくれたほど寛容な国。

 

それに海外から来た人に対して歓迎を示すのはもはや文化レベルで根付いている。

何でもアステカ文明の頃から征服に来たスペイン軍に対して物品を贈呈したり、ご馳走しておもてなししていたという逸話もある。

 

比較的人種に対しても大らかで、特にアジア系に対してもチーノ"chino"(中国人)と言ってくるだけでそこはムキになる必要なく気にしないでOK。

ちなみにメキシコでは基本的にアジア人はもれなくチーノに統一される模様。

(現地のアジア人の割合のほとんどは中国人が占めているため。)

 

メキシコ料理もおいしい。基本的に肉が中心で特に辛い食べ物とパクチー好きには外せない。

 

あとメキシコは大きい。 

記憶が正しければ国土面積は大体日本の5.5倍。

人口は現段階で日本と酷似していて1億2千万強だが平均年齢は日本の49歳と比べてメキシコは29歳程度と人口減少の傾向があると言われる中でもまだまだ圧倒的に若い人が多いのがメキシコ。

 

陸地も太平洋とメキシコ湾の海に囲まれて、森林、山岳、中央高原、砂漠に荒野と地形も豊かで気候も基本的には温暖で湿地帯から多様だ。

 

 

そこでメキシコの中でも世界的なリゾート地と言えばメジャーなのは

キンタナロー州のカリブ海沿岸にあるカンクンを思い浮かぶはず。

実はカンクン以外にまだそれほど日本では知られていない北米屈指の楽園がある。

カリブ海とはまったくの正反対でカリフォルニア半島の南バハカリフォルニア州「ロスカボス(Los Cabos=サン・ルカスとサン・ホセの二つの町からなるところの総称)」

 

カリフォルニア半島のほぼ岬。

 

 聞いた話では、ロスカボスはもはやメキシコというよりもアメリカ人のための観光地として栄えていてカンクンと同じくドルが流通していて景気もメキシコシティカンクンよりも断然羽振りがいいという話。

そのお陰で物価はメキシコ内で一番高い地域とされているらしい。

 

実は数年前からロスカボスには興味があったけど機会がなかった。

だけど今回ロスカボスにいる友達に会いに行く機会を得た。

去年に一度メキシコシティで日本語を教えている友達、アルドと知り合った際に弟がロスカボスにいるから今度遊びに来いとのこと。

あ、ありがたい!

バイオリン弾くうえに日本語も多少話せて心まで広いとは男前や。

 

と心を喜ばせていた矢先、少し後にメキシコにもコロナが蔓延し始めた。

 

 結果的に出発は今年に持ち越しになったが。

 2か月程前についにチケットを購入。メキシコの格安航空会社、ビバアエロバスのスマート(flexible ticket)メキシコシティ↔ロスカボス間の往復便で大体2500ペソ。日本円で1万3千円ぐらい。

 ちょうどセマナ・サンタ(イースターカトリックの伝統的な祭日)という2週間ぐらいの大型連休の終わりを狙ってか、思ってたより安く手に入れられたので良し。

 

 

こんな流れで、メキシコ屈指の楽園、ロスカボスにとりあえずどんな感じか観光もかねて友達に会いに行ってきたんでこれからその様子を書いていくんでよろしゅう!

 

つづく。

 

 

メキシコ、自宅で20日間の引き籠り生活(コロナ自粛後編)

 

 おさらい。

 

コロナCTR検査の結果は「陽性」

少なくとも23日間の自粛を余儀なくされる。

 

(前編は過去の記事を読んでね)

 

嗅覚と味覚がないこと以外、特に他に何の症状もない、ほぼ無症状感染者らしい。

無自覚の感染者はもちろん、メキシコでは有自覚者でも検査に行かないで日常生活を過ごしている層が大勢いるということが一番恐ろしい。

陽性結果が出たら仕事にいけなくなるか、クビになるのを

恐れてのことだろう。

 

ちなみにメキシコは2020年3月頃からコロナが流行り始めてから、4月、5月と感染者の数は日本と順位争いだったが、そこからほんの数ヶ月でメキシコシティを初め爆発的に感染者が急増した。

世界の中でも一気に15位以内に入るほど浮上し、

現段階では220万人を超えるほどまでになっている。

 

そもそもの一つの大きな理由として、典型的なメキシコ人気質の人からすると

 

コロナは気にしない とのこと。

実際に以前、スラム街で住んでた頃、その辺の道端で昼間から酒飲みながら

ヨレヨレのシャツを着た4、5人でゲラゲラ楽しそうに話してる所、一人の顔見知りに聞いてみた。

 

自分「おっちゃん、何でマスクせえへんの?」

 

おっちゃん A「はは、ええかわしらはな、なんぼ周りが世界がコロナで

騒いでようが実際に目の前で自分とこの犬が野垂れ死にする所見るまではそないなもん信じんし、気にせんがな!」(ビールがぶ飲み)

 

自分「犬が野垂れ死に?」

 

おっちゃん B 「ああ、要はわしらの身内の人間の誰かがコロナで死ぬところ目の当りにするまでは信じへんっちゅうこっちゃ。」(ビールがぶ飲み)

 

自分「. . . . . . . .。」

 

おっちゃん C 「わしなんか15年以上ごみと一緒に生活しとるけど、一回もウイルスにかかったことないで!」

 

自分「(たしかにコロナウイルスどころか、もはやおっちゃん自体がウイルスみたいなもんだ)」

 

おっちゃん D, E 「はっは! ビール最高!」

 

笑えてる内はまだ平和だ。それにしても信じないのは勝手だが無意識に他人に迷惑掛けるのは避けてほしい、と説得しても話の通じる相手じゃなさそうだったので

その場から立ち去った。

 

このパターンはかなり極端だと思う。

もちろんメキシコ人皆そうではないけど簡単に言えば、そういう今幸せならそれでよしなラテン気質は特に中高年層の男に多いように感じる。

若い人達は社会情勢に危機感を持っているように思う。

 

未だに外国人を受け入れたり等、国の規制自体も弱いけど、危険信号が赤色だろうが

気にせず旅行に出かけるほどのメキシコ人の気質がコロナ感染に拍車をかけた。

今は既にシニア優先でワクチン投与が始まっているメキシコ。

 

 とにかく過去14間の感染源を頭の中でひたすら探ったところ年末に世話になった家族に誘われたパーティを思い出したが幸い感染者はいなかった、メトロの中や買い先で感染した可能性も十分あるが、結局どこからもらったのかははっきりしない。

自分でも頭の中では未だ半分信じていなかったが、結果が出た以上、家の人間に迷惑を掛けるわけにはいかないのでここは大人しく現実を受け入れるしかない。

 

別に診療所に行く必要もなく、ただ部屋で自粛と伝えられる。

ルーミーの母のロサからも念押しされ、二人で家に帰る。

その夜、息子のクリスが帰って来た。

昼頃ににお母さんから検査結果を聞いていたので、すでにそこには普段の大人しい

クリスの顔つきはなかった。

 

「君がコロナウイルスを持ってるのは今日100%判明した。もし僕がいない間に少しでも外に出たら母さんからすぐ知らせが来る。ルールをリスペクトしない場合は思い知ることになる」

 

真剣な顔で言う。

何せ親が60歳を過ぎてるもんで相当心配してるようだ。

外部の同居人がコロナをもらってきた上に親も住んでるとなれば心配するのはもちろんかなり迷惑な話でさすがに少し反省した。

ただルール通り過ごして無事に自粛期間が過ぎ去るのを待つしかない。

 

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左から自分、ロサ、クリス、クリスの友達イツェル。

 

ちなみにクリスは過去に一度、自分が来る前にコロナに一度感染したらしい。

(実はその頃にロサも感染したっぽい)

 

というわけで20日間は必要最低限の私用以外の外出は禁止される。

基本的に自分の部屋に軟禁状態、もちろんトイレはOK。

料理はほとんどキッチンで自分で作ってたんで、特別に調理許可を得た。

食器は別々、使い終わったら触れた場所、通った場所すべてに除菌スプレーを吹きかける、必要なものは家の物に伝えて買い出しに行ってもらうなど徹底した。

 

その時からクリスとの関係もかなり気まずくなった。

ただかなり心配性な面で仕事でクリスが家にいない間しょっちゅうロサに感染しないように部屋から出るなと電話で伝えるばかり、部屋に籠ったロサが半分ノイローゼ状態になったのはかわいそうだったが複雑な気分になった。

 

一日のルーティンは大体決まっていた。

自粛といえど早起きは徹底した。

その後朝一ストレッチ、瞑想、メール返信、SNSストーリー更新、副業、筋トレ(感染中はおススメしない)、読書、など自分なりに自粛時間は活用した。

体調が悪くなかったのはほんまに不幸中の幸いだった。

そんな生活の中でも辛かったのは、部屋に窓がなく扉を閉めれば、そこは時間の経過が精神と時の部屋かというぐらい時間の流れがわからない。(時計は見れる。)

中でも時間かけて作った飯でも匂いどころか無味なのが悲しすぎた。

どんなに自分好みの味付けしても味がしないのは文字通り味気がない、虚しい食生活だったが食べれることに感謝しながら過ごした。

メキシコの太陽の日を浴びれないのも辛かった。

 

そんな生活にも慣れた2週間ちょっとしてからあることにふと気がついた,

 

飯の味がする!

 

100%味覚が戻ったわけじゃないけど、、うまい。。

うますぎる。

2週間無味無臭で過ごしてきた後の自分の作った飯を味わう姿を想像してほしい。

あまりの感動であたいの目から涙がちょちょ切れた。

ちなみにその日作ったのはたしかネギと大豆ミートのサボテン丼。

しつこく言うが泣くほどうまかった。

 

他の感染者によれば味覚と嗅覚が戻るまで大体数か月ほど掛かるらしい。

自分の場合はその時点で60%は戻っていたので回復は早かったと思う。

匂いもかすかに戻っていた。

周りも一緒に喜んでくれていた。

 

一気に気分も明るくなった上に自分の中ではもはやコロナにかかっているということも吹き飛んだ。

「3日後に再検診に行ってくればいいよ」とクリスが言う。

 

あんたは医者か?とも思ったがそれはともかく 3日後、再検診に行ってきた。

 

結果:陰性

 

すでに確信していた。

その日は見える世界すべて明るく見えた。

心は飛び跳ねた。外の空気も最高にうまく感じた。

すぐに家に帰って家族に報告した、みんな大喜びでハグで迎えてくれたのを覚えている。

これでもう皆家の中でマスクをしなくて済むのと気兼ねなく家の中を自由に移動できるのは嬉しかった。

ただ抗体はできたとしても新種のウイルスにかかる可能性もあるんで、十分引き続き

気を付けてとのこと。

自分も自粛生活にはせいせいしたし、これ以上ルーミーを不安にさせたくもなかったのでこれまで以上に気を付けることにした。

回復するのを応援してくれた周りの仲間にも感謝。

 

メキシコでも毎日コロナで死んでいく人も多い。(実際のところ原因は不明)

今でも多くのメキシコ人にとっても不安は大きくなっていてギスギスした空気は少しあるがその反面コロナに呆れて普通の生活してる人の方が多い。

正直、コロナが広まった頃は自分がアジア系であることによって白い目で見られることもあったけど、今はその時期は乗り越えて、健全に楽しく日々を過ごせている。

メキシコは人も温かくて地形や歴史的にも魅力的な国なので早くコロナがもっと落ち着いてメキシコの色んな所に旅に出かけたいと思う。

 

読者の方々にも気持ち込めてメキシコの魅力や情報を伝えていこうと思ってるんでこれからもよろしゅうに。(萬田風)

 

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家族の年末年越しフィエスタ。絶賛三密中

 

 

 

 

メキシコでコロナ感染!?

久しぶりのブログ再開。

これまでの間色んな出来事もあったせいか、

記事投稿は完全にそっちのけだった。密かに更新待ってた方には申し訳ない。

 

ということで、

その出来事の内の中でもまず思い出深かった事を順番に書いていきたい。

内容は既にブログタイトルから察してもらえる通り、

結果を言うと実は僕は、今年1月にコロナ感染した。

 

陽性と判断するまでの過程とその後の自粛生活を長いから前編と後半に分けて

書いていく。

 

 

年始の夕暮れ、アパートのキッチンで普段通り何気なく晩飯を作ってる最中にルーミーのクリス(ルームシェアの同僚)から「パンの焼ける匂いがする」と、

自分のいるキッチンに入ってくる、ちなみに焼いてるのはパンではない。

 

自分:あ、ほんまに?

 

ん? 

 

そう言われて改めて意識して匂いを嗅いでみる、パンどころか無臭しかせんがな。

(普段から鼻づまり気味やしな、特に臭いには鈍いし、気のせいでっしゃろ)

軽く考えつつ部屋に戻ってバニラ臭のボディークリームを手に塗っておそるおそる

匂いを嗅ぐ、

 

「なんじゃこりゃ。。」 その時は率直にそう思った。

全くと言っていいほど完全な無臭

すぐさま台所のインスタントコーヒーを取って嗅いでもやはり無臭

これはたしかにおかしい。

コロナのいくつかある症状の中で嗅覚と味覚がなくなるのを聞いてたが

この時点ではまだ完全に信じてなかった。

馬鹿らしいけどまさか自分がコロナに感染するとは思っていない

あとやはり味覚も少し鈍くなってた気がした。

 

その晩、一緒に住んでるルーミー(お母さん:ロサとその息子:クリス)には

話をした。

 

結果、翌日の朝一で即検査に行くよう勧められた。

ちなみにその話の直後即全員自宅内で常にマスク装着を課せられた。

もちろん家内ソーシャルディスタンスも導入。

ここのアパートに越してきて4ヶ月程一緒に仲良く生活してきたけど、

当然、明らかに家族の反応が変わった。 ていうか目の色が変わった。

まだ100%陽性と判明したわけでもないがもはや感染者の可能性大の手前、

その人間が同じ家に住んでるとなればそうなることは、十分気持ちは理解できる。

 

その晩は気まずくなりながらもすぐに部屋に戻って寝た。

翌朝一番で家の近くの公園で平日だけ無料で行っているPCR検査に行ってきた。

ロサも60歳を超えているので念のため同行して一緒に検査することになった。

 

公園に着くと朝から既に長蛇の列ができている。

平日の間だけ一日300人限定で無料で政府の管轄で検査実施しているらしい。

最後尾に並んでからスタッフから書類を配られ、名前、住所、パスポート番号やら

書く欄があり、手早く済ませ待ち続けること3時間弱。

来てる人数もあってかかなり長い。

 

まず先にお母さんのロサが検査を受けた。

ケロッとした様子で検査結果のブースから出てくる。

結果は幸い陰性。まずほっとした。

 

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やっと検査が行われているテントの前までたどり着いた。

テントは3つのブースに分かれていて、一つはPCR検査、2つは

検査結果、別のテントでは陽性患者のみに対しての応接といった感じ。

いざ自分の番、検査のテントの中に案内された。

 

 

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撮影の許可はバッチリ☆

いよいよ中の椅子に案内され

心のなかで絶対陰性やと自分で自分に言い聞かせ精神を整える。

ごっつい防護服を着た男女二人。

 

「鼻出してや」とおばちゃん。

白い細長い棒を取り出して一言、「ちょいくすぐったいけど、かんにんやで」

遠慮なく鼻の奥まで入れ込み、かき回す。

 

いやいや、くすぐったいどころか痛いて!!

しかもグリグリ長い!

あまりの容赦のなさにおばちゃんにイラっともした。

だが耐えた、ようやった!

実際は5秒ぐらいだろうが、体感的に1分は耐えた。

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痛みで半泣き

 

さてと、あとは検査結果待ち。

とりあえず一番辛い時期を乗り越え心境はほっとする。

番号札を持って検査待ちの列に並ぶ。

 

「ぴんぴんしてるし、ただの不調」心でつぶやく。

そうこうする内にすぐに番号で呼ばれる。囚人?

 

別のテントに案内され質問攻め。 「名前と年齢は?」、「体調と熱は?」、

「最近14日以内にコロナ感染者との接触はあったか」その他にも喫煙者か否か等、

質問に答えた後、

遂に結果発表。

 

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結果:POSITIVO (陽性)

 

スタッフのお兄ちゃん:お疲れ様。兄ちゃんコロナ感染してもうてるな、

家でじっとして、これから最低でも23日間は外出禁止やで、お大事に。

表でまた呼ばれるまで待っといてんか。

 

自分:あぁ、ほんまでっか、毎度すんまへんな、おおきに ほな。

 

 

とはならなかった。

 

 

後半に続く。

 

メキシコでブログデビュー!!! ときっかけ。

どうも、メキシコの野良犬こと、よっさんです。

旅を始めてから8年経った今ようやく現住地メキシコでマイブログ開設!! 

な、ながかった、、(感動)

 

ここでブログを始めるに至った経緯を書く。

そもそも今思えばバイクで沖縄離島の旅から始まって以来、日記をつけていた時期はあったけど

ほとんど自分の旅についてネットで外部に発信することはなかった。

旅先で出会った人達と生で情報交換するのが当時の唯一の発信だった。ブログに興味もなかった。

それから今メキシコに来てかれこれ2年(トータル3年)、リアルスラムでの生活感の濃い日常にも順応しだした去年8月頃からふと今のメキシコの生活を周りに共有したくなった。

それからWatsupのストーリーという24時間限定で表示されるシェア機能を利用するようになった。 ちなみにSNSはたまにチェックするだけでほとんどアップすることはなかった。

気がつけばショートムービーや画像をちょいちょいアップするようになり、発信することに興味を持ち始めてからブログやyoutubeを始めるために色んなyoutuberの動画を見漁った。

だけど動画を見つつもとにかくまず始めろと自我自答の矢先にある日、

とある一人の日本人女性からメールが届いた。彼女はゆみさん。

 

大阪のサルサダンス友達のつながりで自分のFBのプロフィールを見たらしく、自分がメキシコにいることを知って連絡してくれたみたいで、

なんと一昨年11月から去年2020年11月まで1年もメキシコシティーにいたという、

それに行動範囲も最近まで住んでた中心街からかなり近い!

 

広いメキシコシティーと言えど珍しい日本人同士、

一度も会わなかったのはもったいない(シティで見かけるアジア人は殆ど中国人か韓国人)

 

 

ちなみに中心街を地図で見るとこんな感じ

セントロがちょうど中心街のダウンタウンで、でかいビルが立ち並ぶ古い町並み。

東京で例えるなら池袋、大阪で梅田辺りかな。(適当) スケールは中南米トップレベル。

 

ちなみに去年秋ごろまで住んでた地区がTEPITO(テピト、地図右上)

その真隣のGaribaldiガリバルディと呼ばれる場所で、Plaza Garibaldi(ガリバルディ広場)

ではテキーラ博物館やマリアッチ(メキシコ伝統の音楽隊)がいて生演奏が聞けたり、

バーとレストランで昼と夕方は観光で賑わう雰囲気を漂わせると思えば

ところがどっこい!深夜になると一変。

実はこの付近、メキシコシティの中でも屈指レベルで治安がやばいスラム街界隈

TEPITOはもはや警官ですら夜は通らないという噂。(昔)

個人的にはこの辺りの人間はかなり粗暴なイメージは強いが人情も厚い。

日本で例えれば大阪の西成のイメージがぴったし当てはまるが、それのさらに8万倍は濃い。(リアルに3倍)

一度気に入られればマフィアに屋台タコスを奢られることも(実話)

 

はい、話題がそれちゃいましたけど、その辺の細かい話はまた別の記事で書くとして

本題に戻る。

 

その後、ゆみさんとはメキシコつながりでちょいちょい連絡を取る仲になった。

しかも偶然同じ大阪出身、はあんまり関係ないか。

そしてゆみさんから「ブログか何かやってないの?興味ある人いると思うよ」

とのお言葉。

友達からのパターンもよくある話だとは思うけど、その言葉の一押しが

ありがたかった。

そこから気持ちが高揚して即無料ブログアカウント開設した。

記事書くのに承認エラーが出たりと障害はあったがとにかく初アカウント、

めっちゃ嬉しい。ありがとうゆみさん!

 

ということで以上がブログ始めるまでの簡単な経緯でした。

言うまでもなく文字通りのブログ初心者ですけど、これから主に今のメキシコでの日常生活、 メキシコの良い所悪い所、近況、過去、視聴者さんと共感できそうな話題など、

とにかく記事にできそうなネタが山ほどあるんでブログでシェア

していく上で僕のことも知ってもらえたらと思ってます!

 

あと、このブログの一つの目的として、僕の今までの旅の知識経験もここで

できる範囲でシェアしていこうと考えています。

今はコロナで旅ができないんで僕のブログ見て海外生活を共感してもらってコロナ収束後の旅で一人でも多くの人に役に立ってもらえたら嬉しいです。

 

もちろんコメント、いいねなどもらえたらモチベーションあがります!笑

またFacebook,、Instagramの日本語用アカウントも作ったんで興味あったら

フォローしてください。 (アカウントIDはプロフィールに記載してます。)

 

じゃあ今日はこの辺で、コロナには気をつけて、皆さんよい一日を!

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メキシコ、カンクンにてカリブ海に感動した日